【コラム】はじめに:2026年3月14日、運命の日

2026年3月14日
この日は、私と家族にとって、そして父・森重昭にとって、忘れられない一日となりました。
普段、私は横浜で暮らしており、父とは年に一度帰省する程度の距離感でした。その日、私が娘の大学卒業と就職の報告を兼ねて娘と広島の実家を訪れたのは、本当に偶然のタイミングでした。
午後3時。食卓に座っている父を囲み、娘が大学卒業の報告をし、4月から就職する病院(娘は看護師になりました)の写真を見せると、普段は滅多に人を褒めない父が、これまで見たこともないような満面の笑みで「よかったな、おめでとう」と言ってくれました。
それに気をよくした私は、帰り際に父の肩にそっと手を置き、「今日はありがとうな、年末にまた来るよ。元気でな」と普段あまり言わないことを父に言いました。
そのわずか2時間後、あんなにも穏やかだった日常が、一変することになるとは想像もしていませんでした。
「一筋の涙」が教えてくれたこと
私たちが家を出て広島駅へ向かっている最中、母から「お父さんの心臓が止まった」と電話が入りました。急行した病院の処置室で、私たちは懸命に声をかけ続けました。
「がんばれ、まだやり残したことがあるだろう!残り2名のオランダ兵のこと、やるんじゃなかったのか!」
その声に反応するように、モニターの数値が動きました。そして17:40。意識がないはずの父の左目から、一筋の涙がこぼれ落ちたのです。それは、父が最後に振り絞った「まだ終わらせたくない」という執念であり、私たちへの「あとは頼んだぞ」というメッセージだったのではないか。そう思えてなりません。
17:42、父は静かに旅立ちました。2時間前まで笑顔で話をしていたこと、そして高速に乗る直前で私たちが引き返せたこと。母は「お父さんが二人を呼んだんだね」と言いました。私もまた、これを単なる偶然ではなく、逃れられない「運命」だと感じました。
父の背中を、いま追いかけて
生前、父は自分の活動について私に詳しく語ることはありませんでした。たまに新聞の切り抜きや出版された本が、手紙も添えられずに自宅に届く。それが父なりの「知ってほしい」というサインだったのかもしれません。
私はこれまで、父の活動をニュースやネット越しに眺める一人の観客に過ぎませんでした。しかし、あの最期の瞬間に立ち会い、父の涙を見た時、言葉では言い表せない強烈な使命感が私の中に芽生えました。
父が人生をかけて取り組んできた「被爆米兵の調査」、そして歴史の中に埋もれさせてはいけない人々の記憶。父が遺した「宿題」はあまりに大きく、重いものです。しかし、あの日の笑顔と涙を思い出すたび、私は一歩前に踏み出す勇気をもらいます。
これからの歩みについて
このホームページは、父・森重昭が遺した膨大な記録を整理し、後世へとつなぐための場所として立ち上げました。
その第一歩として、父の遺志を継ぐ決意を込め2026年4月24日に様々な方のご支援を受け「故森重昭お別れの会」を開催しました。今後はこのホームページを通じ、父の調査内容や私たちが引き継いでいく活動の軌跡を、不定期ではありますが発信していく予定です。
また、BLOGは私 長男森佳昭が感じたことや調査秘話、取材後記などを掲載していく予定です。
父が守り抜こうとした平和の灯火・歴史の灯火を、絶やすことなく次へつなげるために。
皆さま、これからどうぞよろしくお願いいたします。
森佳昭(森重昭 長男)

