【コラム】父・森重昭の旅立ち — 家族葬

葬儀場の祭壇 父重昭と語り合う母佳代子

2024年3月14日、父・森重昭が息を引き取りました。
今回は、家族のみで執り行った葬儀の様子を、父を支えてくださった皆様にお伝えしたいと思います。

「研究者の戦場」を、安らぎの場に
3月14日、父が病院から自宅へ戻る際、私と娘のひとみは一足先に家へ駆け戻りました。父が最期に過ごす場所として、長年研究に没頭した自室を選んだからです。

しかし、そこはまさに「研究者の戦場」。机の上も床も、山のような書類と資料が積み上げられ、散乱していました。亡くなる直前まで、父がどれほどの情熱で歴史と向き合っていたかを物語る光景でした。父を迎え入れるため、二人で必死に片付けを始めましたが、その膨大な量に、汗だくになりながらの作業となりました。

面影に宿る穏やかな再会
ようやく整った部屋へ父が到着した際、搬送してくださった葬儀社の方が驚きながら仰ってくださいました。
「なんて穏やかなお顔をされているのでしょう。苦しまずに、安らかにお亡くなりになられたのですね」

確かに、横たわる父はただ心地よく眠っているだけのようで、今にも目を覚ますのではないかと思えるほどでした。その穏やかな死に顔を眺めながら、叔母と「母(祖母)によく似ているね」としみじみ話し合いました。これまでは気が付きませんでしたが、最期の瞬間に見せた優しい表情は、懐かしい面影そのものでした。

平和を象徴する花々と、授かった名
16日の通夜、17日の葬儀は、広島市西区庚午の葬儀場にて執り行いました。
祭壇は母の希望で、白い花をベースに、平和を象徴する花々を遺影の周りにあしらいました。花々に囲まれた父の装いは、愛用していた「紺色のスーツ」に晩年お気に入りだったネクタイ、そして胸元には活動を通じて頂戴した「日米両国の国旗バッジ」を添えました。

また、浄土真宗の院号は、父のこれまでの歩みを象徴する「平和」への願いを込め、「和順院(わじゅんいん)」といたしました。

五日市の空へ
3月17日、春の気配が漂うなか、父は広島市佐伯区五日市の火葬場にて荼毘に付されました。
歴史家としての使命を全うし、家族や先祖に見守られながら旅立った父。今はあのお気に入りのスーツ姿で、空の上から穏やかに平和な世界を見守ってくれているような気がしています。

そして、いつもの書斎へ
五日市での火葬を終え、自宅に戻った父は今、再びあの書斎で静かに眠っています。かつては汗だくになって片付けたこの部屋も、今は穏やかな時間が流れる場所となりました。山のような資料に囲まれ、生涯をかけて歴史の真実を追い求めた父にとって、ここが一番落ち着く場所なのかもしれません。

父の書斎にて